ウルトラパンク&ポップな実践存在ガイド

世界が在ることを徹底的に破壊した果ての創造を生きよう

存在とは「そうであれば矛盾なく世界が成り立つことのすべて」が私の経験に表われたものだよ

 

å¾¹å¤æãã®ç¬é¡ã®ã¤ã©ã¹ãï¼ç·æ§ï¼

お盆休み真っ只中を過ごしており、睡眠時間はもうむちゃくちゃなキシモトシンジです、いえ〜い。

 

f:id:ultrapop:20180815203401p:plain

 

最近のお気に入りは、むやみにコーディングして遊ぶことです。やっぱりキシモトの生理としてコードを書いてないと、ダメだなって思うんですよね。ただまぁ時々思い出したように自主トレで書くコードはだっせえので、しばらく修行が必要だ!です!だ!

 

æ»ã«æãããä¿®è¡å§ã®ã¤ã©ã¹ã 

 

 

……夏のたわごとはここまで、さて、こっから本題です。

前回は、確実に世界で起こる事実を予想することも、事後に検証することもできないけど、やはり事実は互いに矛盾しないって話をしました。

しかし逆に事実が受けている制約の形式が明確になったことで、存在するとはどのようなことであるか、検討を進められるのです。

 

f:id:ultrapop:20180815210731p:plain

 

だから存在とはそうであれば矛盾なく世界が成り立つことのすべてなのです

f:id:ultrapop:20180815203804p:plain

 

私が或る対象の存在を経験するとき、その対象がそうであれば矛盾なく世界が成立するように経験しています。

たとえば目の前にコーヒーカップが見えるのであれば、コーヒーカップは存在していると受け入れることになります。なぜなら今まですべての経験において、あからさまに見えているものは存在するものとして、矛盾なく世界を成り立たせることができたからですね。

 

もしあからさまに見えているコーヒーカップの存在を否定できるならば、そのような自然法則が存在しているはずであり、それなら過去にもそういうことがあったはずです。しかしそういった事例をひとつも挙げることができないですよね。

 

あるいはなんらかの自然法則がこの瞬間から変わって、見えているコーヒーカップが存在しなくても当然になった、という方針もあるかもしれないのですが、、、。しかしそれなら、自然法則の変化が生じた理由を世界に組み込んで、成立させることができなければならないのです、……でも、どうやって?

 

たとえ悪魔が私をだましてコーヒーカップを見せていた(と後から考えることになった)としても、「悪魔が私の視界に出現させたコーヒーカップの幻」が存在しなきゃならないのです

f:id:ultrapop:20180815203925p:plain

目の前にあるコーヒーカップが本物だとか幻だとかは、コーヒーカップを世界に配置する位置づけの問題にすぎません。どちらにせよ、そのようにして像が見える仕組み(本物のコーヒーカップ、または悪魔の仕掛け)が矛盾せずに像を描くのだから、どんなに優秀な悪魔であっても世界を矛盾させることはできないし、世界は矛盾しないのです。

だから対象を経験したなら「その対象は本当に存在するのか?」と疑うことに意味はありません。経験によって世界に配置されるなら、そのすべては本当です。ただ配置する位置づけを変えなければならない、と後から分かることがあるだけなのです。

 

世界は矛盾のない連鎖によって成立しているのです

或る対象の在りかたが世界に矛盾なく配置されると、そう配置している他の対象の在りかたも、さらに他の対象によって矛盾なく配置されることとなります。

その連鎖はあっという間に世界を埋めつくすのですから、或る対象の在りかたはそれ以外すべての対象の在りかたと一つですね。

 

f:id:ultrapop:20180815204944p:plain

 

たとえばAさんという人を世界に配置しようとするだけで、Aさんには矛盾なく両親がいて、その両親には矛盾なく好きな食べ物があって、好きな食べ物は矛盾なく飛行機が運んできていて、飛行機は矛盾なく航空力学にもとづいて作られていて……、という矛盾しない連鎖で世界はすぐに埋めつくされます

 

f:id:ultrapop:20180815205131p:plain

 

連鎖が世界を埋めつくしていて、つながりが密ですから、いったんそのように配置された或る存在する対象はそれがそうであるとしなければ世界が成り立たなくなるのです(もし配置が変わるのであれば、なんらかの新発見があるはずです)。つまり目の前にAさんがいるのであれば、そうであるとしなければ世界は成り立たないし、同時にAさんと連鎖している事物のすべてがそれを支えるのでなければならないのです。

 

f:id:ultrapop:20180815205315p:plain

 

だから存在とは「そうであれば矛盾なく世界が成り立つことのすべて」が私の経験に表われたものです

こうやって世界に存在するとは他の対象と矛盾せずに配置可能なことであって、事物同士を直結することではないのです(そのような直結する働きはどこにあるんだって話になりますし)。そしてそれは私の経験にしか現われません。

 

f:id:ultrapop:20180815205705p:plain


ひるがえって自分自身が世界に存在するとはどのようなことであるか?私だってやはり関連のリンクの中で矛盾しないことに過ぎません。それを寄る辺なき不安として捉えるのか?根本的な自由と解放であると捉えるのか?それを選び取ることができるのは、存在の問いに向かい合った者の特権ではないでしょうか。

 

 

--------------------------

ãfortnite switchãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

ニンテンドースイッチでFortniteを始めましたが、オッサンには難しいです。まだ1キルもできてない、、、orz。どうでもいいから一人くらい殺したいので、できれば保育園児だらけのマッチで戦う方法はないでしょうか。

 

殺したい、殺したい、殺したい、コロしたい、コロシタぃ……

æ¨ã¿ã®ã¤ã©ã¹ãï¼ç·æ§ï¼