ウルトラパンク&ポップな実践存在ガイド

世界が在ることを徹底的に破壊した果ての創造を生きよう

創造を生きるとはどのようなことか?(2)

創造そのものを再創造し、さらにそれも創造によって乗り越えつづけること

 

こんにちわ、大森靖子のクソカワParty、もう聴きました?

私は聴きましたよ!

……はいこの話、もう終わり。

 

 

前回の話。

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創造によって生きていかないのなら、ゾンビになって世界は消えちゃうじゃないか!
だから意志によって創造していくんだよ!

 

ultrapop.hatenablog.com

……掘り下げていきます。

創造するって、どーゆーこと?

世界の存在を表現するっていうのは、どういう基準をクリアすることか?そいつにぶっこんでみます。

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(だいぶ先のエントリで検討することになりますが)何かが存在するというのは、矛盾しない規則によって対象が世界に配置されること です。
そして、矛盾しない規則は、あらかじめ定まることのない事実が現われる ことによってしか表われることがありません。その理由には3つあります。

  • (理由1)矛盾しない規則は、それそのものがどこかに書いてあるわけではないから(筆者注:あたりまえ)
  • (理由2)ただ一つの事実が現われても、それは規則が表われるものではないから(筆者注:雰囲気だけ醸しました)
  • (理由3)あらかじめ起こる事実のストーリーが定まっているのであれば、どんな事実が現われたところで、それが表現するのは「そのストーリー」でしかない から(筆者注:雰囲気だけ醸しました)

なので存在を表現する私がするべきなのは、脳の挙動を含めて、ただ事実が連鎖反応して起きただけではない、創造的に選び取られた事実を世界に描写してやる ことです。
だから連鎖反応でない事実、世界の内側には属さない私の意志によって掴み取った事実、そいつを世界に描写する必要がある わけです。


逆にいえば、ずっと同じ目標を掲げるのは創造ではないってことですよ

 

ですから、たとえば欲望を満たすことを人生の指標にするのであれば、ただ事物連鎖マシンの一部が欲望を満たす肉塊として働いているだけで、何も表現することのない生を送ることになります。(もちろんこれは善ではないですね)
あるいは欲望を満たさないことを人生の指標にしたところで「欲望に振り回されずに生きたい」というやはり別の欲望 を満たす肉塊として、やはり何も表現することのない生を送ることになりますよ。(これだって善じゃないんです)

おなじプロセスの先では、「妻や子どもって大事」ですら真であるのか分からなくなります。私は”分からない”でブレーキを踏みますが、ゴータマ・シッダールタさんみたいに「苦しみの元」とする考えも可能です。

 

よーし、じゃあ、ひたすら創造して生きるぞー!
最短で真っ直ぐに一直線に!

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すばらしい!生きてる!輝いてる!それでこそ熱い魂を秘めたる存在論的主体だー!

ん?
なんだか危険な香りがしてきた!

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ひたすら創造するだけの哲学的ゾンビではない

あ?あれ?

そ、それってひたすらひたすら創造するだけの哲学的ゾンビなんじぇねえの?

このブログの初回で、ヒトも実は弱いAIであって、強いAIであるかのような錯覚は私たちの認知能力に限界があるからだって話をしました。

ultrapop.hatenablog.com

 

であれば理屈の上では、一直線に創造しつづける哲学的ゾンビ だって十分に可能です。

 

じゃあ私が意志によって創造するっていうのは、アレ?ウソなんでしょうか。

……いえいえ、そんなことはございません。

 

 

だから創造するということは、創造についての再創造を繰り返すこと

本ブログ2つめのエントリーで、意志と巨大ゾンビロボットの話をさせてもらっております。これが一番イメージしやすいとおもいます。

 

ultrapop.hatenablog.com

 

↑では、哲学的ゾンビが選びうるコマンドから、私の意志が一つを選び取るって話をしました。

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私についていえば、キシモトシンジの脳ミソが思いつかないことは、私も思いつきません。
けれども私はキシモトシンジ哲学的ゾンビが選択しうるコマンドから一つを選び取ることはできるらしい のですよ(左手の指を一本立てようと意志を働かせれば、それは事実起こるわけですよから。あなたも是非やってみてください(指を立てるか立てないかはアナタ次第)、そしてなぜそのようなコマンドが自分に登場したのかを考えてみるのも楽しいですよ)。

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ですから私の創造とは、キシモトシンジがより創造するような選択を繰り返すことである はずです。
それは 創造の再創造 とでも言うような、意志にしか選び取れない創造(創造しようとしたキシモトシンジの脳を、さらなる創造へと向かわせる創造的な選択)となるはずです。

だから哲学の国の歴史を貫くように 弁証法が検討され、大切にされているのも偶然ではない と思うのですよ。

弁証法 - Wikipedia

 

だからトロッコ問題のような問いは、生きることにとって役に立たないのです

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というわけでトロッコ問題のように、限られた選択肢から一つを選んで理由を考えていくタイプの問いは、生きていくことに向けて力を発揮できないと思われます。

トロッコ問題 - Wikipedia


だって生きることは選択肢に理由をつけることでなく、選択そのものを創り出すこと だからです。

 

あるいは、なぜ人を殺してはいけないか?

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警察に捕まって、刑務所に入れられるからです。
刑務所に入ってたら創造的なチャレンジだって思うようにできないですよね?自明に(ふつうの人はネルソン・マンデラではない)。

中äºçã®ã¤ã©ã¹ãï¼å¥³æ§ï¼

どうしても「そうじゃない、逆なんだ、殺さないと創造を生きられないんだ」っていう人は(深刻な中二病ですね)、人を殺せばいいと思います。でも、僕のことは殺さないでね。殺されると創造できなくなるから。

もういいよね、この話題はこれで解決済み です。

 

さらに再創造ですら書き換えて生きていくということ

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創造的に生きるためには、創造にこだわって、執着することさえも作り直す必要があるはず なのです。つまり、創造や再創造で止まってしまって、停滞するのってクリエイティブじゃないですよね。矛盾しているようですが、突き詰めれば、うーん、「勝手に生きろ!」ということにでもなるんじゃないでしょうか。

 

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