根拠のない世界をどうやって手探るか
新幹線を降りた瞬間、ドライヤーで炙られてるのかな?と思うくらいの酷暑でした。
ただ移動して、冷えすぎのエアコンにキーンと冷やされる瞬間は大好きです。サウナから飛び出して凍った池に飛び込むフィンランド人と仲良くなります(芭蕉)。
……はい、本題。
世界が矛盾しないことによって世界を解いていく
前回は世界は「なぜ?」によって、いくらでも上位の宇宙へと問いかけていくことができますよ、って話をさせてもらいました。
ところが以前の検討では、因果律のような世界の基底によって世界は説明できないってことになっているのです。
だから改めて書きますが、「持ち上げた鉄球から手を離すと地面に落ちるのは、因果律に含まれる万有引力の働きによる」と語ることは本来できないのです。
ただし、世界は矛盾しないっていうことは言えるのですから、、、
これによってたとえば「持ち上げた鉄球から手を離すと地面に落ちた。それは私が過去に万有引力について学んだ経験、およびその知識の系による理由づけと矛盾しない」と語ることはできます。だって鉄球が落ちる事実は「私が過去に学習を経験した万有引力についての説明」と矛盾しないからです(なにも注釈できてない orz。それくらいそりゃそうだ、って話です。
規則の定義について
事実がそれ以前の事実と矛盾せずに成り立っている、そのパターンを「規則」と呼ぶことにします。
私の経験は規則正しいのです
私は今までに根本的な矛盾を経験したことがないですし、これからも経験しないです。
だから私の経験は、規則正しい経験なのです。
たとえばヤマダタカシさんという人がいたとして、いきなり彼が爆発したとしても経験に根本的な矛盾が生じたとは言えないです。ヤマダさんに小型爆弾を仕掛けたテロリストがいたのかもしれないですし。犯人が見つからなかったとしても、それは”分からない”というだけです。
ところが「ヤマダタカシさんは今日の午後2時に爆発して死んだ、かつヤマダタカシさんと今日の午後3時に一緒に食事に行った」という経験は根本的に矛盾します。
そんな経験をしたことがないし、そもそもそんなのできないのです。
試しに全力を振り絞って、矛盾する経験をしようと努力してみてください。……はい、何もできなかったでしょう?
矛盾しないことから、世界を検討していくぞぅ
因果律が世界を支えているのではなく、私の経験が規則正しいにすぎないのだと受け入れるなら、物や事の「存在」とはどういうことなのかが分かるようになります。
そして存在するということが分かると、逆の「無い」についても明らかになりますよ。次回からは規則によって存在と無を検討していきますよ。