なぜ存在の問いが最強の問いなのか
存在の問いは、問いの大統領だョ!
(^○^)
問いの強いや弱いをどうやって比べるか
一番の問いが存在の問いだと主張するなら、強弱の基準を示さないと殺されますね。
結論からいうと、より前提となっている問いのほうが強いからだよ。
今日はそのへんをウダウダと妄想です。
問いはその前提が変わることで答えが変わるけれど、答えを変えても前提は変わらないよ
地球温暖化はなぜ良くないか?という問いを例にしてみるよ(個人的に地球温暖化へ特別の関心があるわけではないので、ただの例として)。
- 地球温暖化が良くないのは、さまざまなデメリットがあるからだよ
- デメリットっていうのは、たとえば砂漠化が進行する、小さな島が沈む、などなどだよ
- そもそも砂漠化が進行すると良くないのは、たとえば食料生産に支障が出るからだよ
- そもそも食料生産に支障が出ると良くないのは、たとえばヒトが飢え死にするからだよ
- そもそもヒトが飢え死にすると良くないよね
といったぐあいに、地球温暖化が良くない理由の一つはヒトが死ぬからだと分かります。こうやって「そもそも」を繰り返すことで、問いに答えていくことができるはずですよ。これを言いかえると「そもそも」の示す前提が定まれば、答えも定まるってことですね。
そして前提のほうが偉くて強いはずです。もしこの例で「ヒトが死ぬのはとても良いことだ」と前提が変わったとしたら、地球温暖化は良いことだと変わりますもんね。ところが「地球温暖化は良いことか?」という問いの答えを「良い」と定義したからって、「ヒトが死ぬのは良いことだ」と前提を変えるわけにはいかないですもんね(これはもう矛盾するというだけ)。
問いをくり返して一般化すること
だから問いに対して「そもそも」をひたすら繰り返すことで、一番強い問いにたどり着くはずですよ。
というわけでっ、です!……ここから「ヒトが飢え死にすると良くないのはナゼ?」という問いも続くはずですよね。それはこんなふうになるはずです、
- 命は大事だからだ
- 命がウンコより大事だとして、そういった価値の基準はどうやって決めるの?みんなで決めるものなの?
- みんなで決めるものであるなら、みんながウンコ食べたらオマエも食えよな。あと人類が滅んだら価値の基準も無くなるの?それとも世界の中でその基準がどこかに設けられているの?
- そもそも世界ってなに?
- 世界がどういったものであるかも問題だけど、そもそも世界はなぜ存在するの?
- そもそも存在するってどういうこと?
こうやって問いを深めていくほどに、より多くを包み込む問いに広がり(つまり一般化)、最後には存在の問いに行きつきます(かなり強引に端折っていますけども、他のルートを辿ったとしても結局は存在の問いに行きつくはずですよ)。
なぜ物事を考え続けると存在の問いに行きつくのか?
なぜ物事を考え続けると存在の問いに行きつくのか?その理由には以下の2つがあります。
(理由1)「そもそも」と前提を問うというのは、問題を一般的に解こうとすることだから
(理由2)物事について考えるとき、究極の一般性っていうのはそれが「存在する」ことだから
理由1については上で説明したので、理由2について説明します。
或る対象について考えるとき、対象の概念だけは必ず存在していなければならないです。だって概念が存在しないものは、考えることができないですもんね。そして概念が存在するなら、なんらかの方法で考えることができます。あるいは柳の下の幽霊だって、そういった実体がないのは明らかですが、その概念があることによって「幽霊なんていない」と考えることができます。つまり、
- 対象の概念が存在するなら考えられる
- 概念の存在する対象についてしか考えられない
わけですから、なんにせよ考える対象は「存在する」という共通点を必ず持っているのです。だから「そもそも」をくり返して前提の一般化を進めていけば、「存在する」という究極の一般性にたどり着くってわけです。
そしてそこから一歩踏み出すのであればその問いは「そもそも存在するってどういうこと?」となるので、だから存在の問いは最強の問いなのです(と、私は信じているのです)。
「問いとはなにか?」「問いに必要な(自然言語等の)記号や論理操作とはなにか?」というのも、究極の問いとなりうるかもしれません。でもやっぱり「問いが存在するとはどういうことか?」「記号操作が存在するとはどういうことか?」という問いが絡みついてくるはずです。