脳と事実の一致について
こにゃにゃちわ~、ハロウィン当日は渋谷を煽っていきたいと思います。ダンボールを切ったり貼ったり塗ったり、軽トラのコスプレ衣装の準備が大変なキシモトシンジです。
……やらないけどね。
さてさて、前回は世界の始まりは、概念の無だよって話でした。
ところが何も概念がないなんて意味が分からなさすぎて、取り扱いに困ります。
なので、世界の始まりは概念の無だとゴールを見据えたうえで、世界からその始まりに向かうことにしますよ。
じゃあ、世界とはどのようなものなのか?
……過去のエントリで、存在とは「そうであれば矛盾なく世界が成り立つことのすべて」が私の経験に表われたものでした。世界は存在するものをすべてかき集めたものなので、そのあたりから攻めたいと思いますです。
私が経験することのすべては、キシモトシンジの脳細胞がなんらか反応した事実なので
私が経験することのすべては、キシモトシンジの脳細胞がなんらか反応した事実ですよ。だから世界とはキシモトシンジの脳細胞が反応することを必ず含む事実と、それらの事実から導かれるすべての事実をかき集めたものってことになります。
たとえば、私の世界にとって目の前でリンゴが木から落ちるっていうのは、木からリンゴが下に落ち、落ちた地面でリンゴが光を反射し、反射した光によってキシモトシンジの目の神経が刺激され、キシモトシンジの脳の特定部位が反応することです。
このときリンゴが落ちて脳が反応するまでのすべてが、私の世界としてまさにそのとおりでなければ「目の前でリンゴが落ちる」いう事実は成り立たないのです
- リンゴが落ちたのなら、地面の上で光を反射しなければならないし
- 反射した光はキシモトシンジの目の神経を刺激しなければならないし
- 目の神経が刺激されたのなら脳の特定部位が反応しなければならない
ですよ。これを逆に追うと
- 私が経験したのであれば、キシモトシンジの脳の特定部位が反応したのであり
- 脳が反応したなら目の神経が刺激されたのであり
- 目の神経が刺激されたなら地面に落ちたリンゴが光を反射したのであり
- だからリンゴが落ちたのでなければならないはずです。
だからリンゴが落ちるのとキシモトシンジの脳の特定部位が反応することは同じでなければならないわけです
では脳の反応と事実の関係はどのようなものか?……一致です。
ここでキシモトシンジの脳の特定部位が事実Aを描写している事実に対して、外部にも事実Aが起きている一致を、(脳:A)=(外:A)と表現してみます。
同じように脳が事実Bを描写した事実があれば外部に事実Bがあり、表現は(脳:B)=(外:B)となります。状況が違えば、(脳:M)=(外:M)だったり(脳:X)=(外:X)だったり……
ところが、キシモトシンジの脳もリンゴと同じように物体なので、この等号には意味が無いのです
だってリンゴが落ちたことと脳が反応したことは、どちらも物体がそのように変化したというだけなので、切り分ける境界線がありません。
(脳:A)であるならば(外:A)であるので、(脳:A)=(外:A)とは(脳と外:A)だし、それならただAと表現するべきですよね。おなじように(脳:M)=(外:M)とはただMだし、(脳:X)=(外:X)はただXってことになります。
じゃあっていうんで、AやMとかXは私の経験とどういう関係にあるんだ?って話に繋いでいくわけですが、長くなったのでここまで。次回はだいたい予想通りの話になりますですわよ。
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いろいろ妄想が広がって、pythonに手をつけてみました(はじめました、とは言えない)。ベタなライブラリをいじって遊んでいるところです。
いやはやwebからデータをスクレイピングしてくるのって楽しいですね、コレ。節度とマナーと規約を守って遊んでいきたいです。