プログラミングすら絶望的にできない人類に、もっと難しいことなんかできるわけなくて絶望している
このへんを読んでいて、宣託を受信しました。
比較的習得が容易なプログラミングですらこの有り様なのだから(ゆっても文法の根本部分は似たり寄ったりだし、範囲は公式ドキュメントとまあ行間的な実装状況くらいでしょ)、
民主主義の運用とかいうメチャクチャ複雑で高コストなものをまともに運用できるの?って不安になってしまう。(仕組みは直感に反する部分が多いし、過去の失敗パターン(≒世界史)はだいたい把握しておく必要がありそうだし、えっ経済学!?軍事外交???、、、こんなの高校の公民の授業を受けるだけじゃ全然足りないっすね。)
とはいえ絶対君主制とかそういうのを駆逐してきたのは、相対的にコストが安いからだろうね。
ちょっぴり民主主義の運用に向いている人たちが、絶望的に向いていない人たちをなだめたりすかしたりしながら、それっぽく進めていくっていうのが、賢い人達の集約した意見を最終的な意思決定フラグであるところの王様の判断で実行していくシステムよりも効率的なのだから、ヒトっていうのは業の深い生き物ですね。(どうでもいいけど、台帳一つ書き換えるのに莫大な計算量を注ぎ込んで結局多数決するっていうブロックチェーンとぼんやり似ているようにも妄想したくなる)
そう思えば、無自覚に嘘を付き、かっぱらってしまうヒトという生き物が群れること自体そもそもメチャクチャにコストの高い営みなんだろうね。
じゃあっていうんで「ヒトは群れるのをやめればいいんじゃね?」って思いたくなりますが、群れる習性の薄かったネアンデルタール人を、群れる習性のあるホモ・サピエンスが皆殺しにしたって事実を踏まえれば、群れることのメリットはコストを遥かに上回っているわけで、しょうがない。
いやあ、世界史(人類史?)って参考になりますね。
以上、民主主義の運用に絶望的に向いていないキシモトシンジでした。